私たちには、そんな“ペットの愛くるしい姿形”がはっきり見えていますが(たとえ視力が悪くても眼鏡やコンタクトでクリアに見ることができます)、ペットたちには、私たちはどのように見えているのでしょうか?
そんな気になるペットの視力について、見ていきましょう。
犬や猫が見ている色の世界
コラム『盲導犬の色々』では、「盲導犬は交差点や信号機を見つけて止まることができますが、それは“信号の色”を判断しているわけではない」という話をしました。
信号の色(進めるかどうかのシグナル)を音や周りの感覚で判断するのは、あくまで人間です。犬は歩道と車道のわずかな段差やゼブラゾーン(横断歩道)、ボツボツが並ぶ誘導ブロックなどの情報から、いったん止まるよう訓練されているに過ぎません。
そのため赤系統の色はほとんど灰色に見えていて、人間のように赤や緑を上手く識別できないと考えられています。
人生はバラ色なんて言いますが、この先行き不透明な時代、まさにグレーに見えている犬や猫は、何と達観した視野をお持ちなことでしょう。
視野と言えば、人間に比べ圧倒的に視界が広いのも、犬猫の視力の特徴です。
犬のように左右離れて、また猫のように湾曲し飛び出し気味についた眼は、我々に比べ視野が3割程度も広いとも言われています。まるでブラウン管から液晶ワイドへと移行するように、ここでも我々に先んじる視野の広さを見せてくれるペットたちですが、残念ながらその解像度は、液晶とは程遠いものと考えられています。
ペットの視力はどれくらい?
人間の視神経が約120万本あるのに対し、犬や猫は17万本程度しかありません。ですので、人間の視力に換算すると、どんなに頑張っても0.2前後と、決して“視力が高い”とはいえません。 もちろん、犬猫にはそれを補って余りある嗅覚や聴覚があり、錐体細胞や視神経の数だけで判断できるものではありませんが。
例えば鳥や爬虫類は人間を超える4色識別性(紫外線光も感知できる)ですが、だから我々よりも色鮮やか(?)に見えていると言われても、認識し得ない以上、いまいちピンときませんね。
人間が今以上の視力を持ち、空気中のほこりや微生物が見えたり、ウイルスや紫外線が見えるほど“目が良くなった”としても、正直困ってしまいます。人間には人間の、鳥や爬虫類、そして犬や猫にはそれぞれの色の世界観があり、そこに優劣をつけること自体、そもそもナンセンスなのかもしれません。
しかしこうした「視力」ひとつとっても、哺乳類には白、黒、グレーっぽい外観の動物が多いのに対し、鳥や爬虫類は実に独特な色合いでカラフルな進化を遂げてきたか、ということが分かりますね。
ペットの目の能力
さて、はっきりくっきり“見る”ことは人間より苦手な犬猫ですが、こと“動くモノ”に関しては、話が違ってきます。
視界が広く、わずかな動きでも敏感に捉える視覚は、まさに狩りをする動物の特徴のひとつですが、とりわけ猟犬や、単独ハンターの猫の動体視力はズバ抜けています。シェパードを使った実験では、550m離れると見失ってしまうモノでも、それが動けば825m離れても見分けられるというデータが残っています。
たとえば、ペットシッターが初めてのお客様(とペット)とのお打合せで、飼い主さんと座って話しているときは平気でも、打ち合わせが終わってカバンを持つ動作、立ち上がって歩く動作に、ワン!ワン!ワン!と過敏に反応するワンちゃんがいたりします。ペットシッターSOSでは、ペットとの初顔合わせとなるお打合せ時に、極力ペットに不快な刺激を与えないよう心がけていますが、そのひとつが“急な動作や早い動きでびっくりさせない”ことです。人とは違う動体視力であることを考慮し、特にこわがりなワンちゃんに対しては、ゆっくりゆっくり動いて対応しています(パントマイムのようで、逆に飼主さんに不審がられることも笑)。
また、小さな動物を捕獲する猫の動体視力は、まさに目を見張るものがあります。 猫の脳には“動きに反応する特定の神経細胞”が見つかっていて、動くターゲットを捉えると、周りの風景をぼかしてでも獲物にピントを合わせ、正確にその距離を測ることができるといわれています。 広い視野の中で「動くモノ」さえあれば、例えば50m先の小動物でさえ視認することができるのです。 これは網膜に残像が残っている時間が長いためと考えられ、この卓越した動体視力でテレビを見ると、我々にはなめらかに見える1秒間/30コマの映像が、まるで紙芝居のように1コマずつ止まって見えるというから驚きです。
「日がな一日窓の外を見ていて飽きないのかな?」なんて心配は、“動き”に鈍感な人間の杞憂に過ぎないのかもしれません。 風が織りなす草木のわずかな揺れや、遠くの角に一瞬見え隠れする人や車の通行、飛翔する羽虫や大空を羽ばたく鳥の動きは、猫にとっては大パノラマで繰り広げられる最高のエンターショーなのかもしれないのですから。