本部スタッフの倉西です。
ペーパードライバーの私は久しく車に乗っていませんが、今朝会社へと歩いていると、突然のクラクションにビクッとしました。
反射的に音の方向に振り向くと、それは私に鳴らされたわけではなく、どうやら車同士の車線変更の警告のようでしたが、どっちが悪いかは定かでないものの、とにかくクラクションの音というのは(警報なので当たり前ですが)嫌な響きがしますね。
例えばクラクションを鳴らす側のドライバーに、「入りたいならどうぞ、私はあなたを危険視しませんよ」といった心の余裕があれば、周りの人まで驚かせるようなクラクションを鳴らさずに済んだでしょうし、安易にクラクションを鳴らすドライバーには、どうしても「短気」や「マナーが悪い」といったレッテルが貼られがちです。
では、クラクションを犬の“吠え声”に置き換えて考えてみたら、どうでしょうか?
大人しくてお利口な犬は“吠えない”、しつけができていないわがままな犬は“吠える”と、単純に思ってしまいませんか?
これは先のクラクションのように、『不快な音』に対する根源的な嫌悪感ともいえます。
クラクション同様、そこには“犬の意思”がはっきり見えますので、なおさら「もー!なんで吠えるのよ!」と思ってしまうかもしれません。
実際に、正しくしつけの入った犬は、やたらめったら吠えない傾向にあるのは事実です。
しかしだからといって、それと比較して『吠える犬がダメ』ということでは、決してありません。
並走する大型トレーラーが車幅を寄せてきたら、「危ない!」とクラクションを鳴らすのは当たり前で、それは「ここにいるよ!気をつけて」という注意と同時に、命を守る行為でもあります。
「危ない!」と危険を知らせるクラクションのように、犬も「ワンワン!(それ以上近づかないで!)」と自分の存在を示し、強く吠えて警告しているのです。
それをクラクションを鳴らさずに受け入れろというのは、命を差し出せと言っているのと同義で、それはあまりに酷ですね。
では、「何が危険で何が危険じゃないか?」これを教えることが肝心なことであり、単に『吠えさせない』ことに固執するようなしつけは、望ましくありません。
だって「吠える」ことは犬に許された唯一の危険シグナルであり、要求吠えや興奮吠えなど(クラクションも状況によっては「ありがとう」という意味になるように)おしゃべりな犬の言語でもあるのですから。
車線変更に目くじらを立てなくても、譲ってあげたらハザードランプやクラクションをププッで「ありがとう」とされて嬉しくなるように、シチュエーションによっては犬に「そんなに怖いことじゃないんだよ?むしろほら、いいことが起きたよ」とトリーツのご褒美で正しくしつけてあげれば、きっと道中のストレスは減り、無用なクラクションで周りから不快な目で見られることもなくなるでしょう。
そんなことを、間近で鳴らされたクラクションにびびり、思わず「ひゃん!」と心のクラクションを漏らしながら、考えていました。
by 倉西